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  • 執筆者の写真グリーンモールハウジング事務局

昭和時代の熊本県荒尾市の記憶♪

熊本県荒尾市 緑ケ丘の「ゆめタウンシティモール」の不動産会社 「グリーンモールハウシング」の藤崎です。


今回は私の荒尾市の思い出話を少々。

50年以上昔なので記述に記憶違いも有るかもしれませんが ご容赦くださいませ。


世界遺産 熊本県荒尾市 三井三池炭鉱「万田坑」 2024年7月17日撮影



荒尾市の場合は炭鉱景気に沸いた明治・大正・昭和時代三井三池炭鉱の隆盛で大牟田市のみならず、荒尾市内にも沢山の炭鉱社宅が建築され、全国から炭鉱従業者が集まってかなり

賑やかだったそうです。


荒尾市内には三井鉱山の炭鉱電車だけでなく、JR荒尾駅から今の山の手セブンイレブン迄荒尾市電が昭和39年頃まで走っていたそうです。

人口6万人程の荒尾市内に市電と炭鉱電車とJR線が有ったのですね。



炭鉱従事者の月給は今の価値に直すと月80万円~100万円ほどの高給だったかなぁ。と

10年程前に父親に聞いたことが有りました。 すごいですね。


既に亡くなった父方の長男叔父さんも家族兄弟を支える為、中学卒業後 三池炭鉱に就職したと聞いています。 緑ケ丘の炭鉱社宅(若葉町55 だったかな?)に遊びに行き庭の黒い

大型バイクに跨らせてもらった思い出が。


炭鉱社宅は無料、光熱費も無料、練炭も支給で生活にかかる費用も無料が多かったそうです。緑ケ丘から賑やかだった四ツ山町エリア(こくんぞさん)へ足の炭鉱電車、三井グリーンランド遊園地、グリーンランドのスケート場等も三井炭鉱や三井企業関係者家族は無料

だったそう。


妻の義父が三井の企業勤務でしたので妻から聞いたのですが、三井の病院も無料、三井鉱山は当時人気を誇った「ドリフターズ8時だよ全員集合」や人気絶頂時の「ピンクレディー」を誘致、最新映画を公会堂で社員家族に無料で公開等 今想うと恵まれていたのですね。


危険と隣り合わせで正に命を懸けて働く代償に、様々な助成が有ったので金銭的に恵まれていたので、炭鉱関係者に向け荒尾・大牟田市内には荒尾競馬場や無数のパチンコ屋さんが

有ったのでしょうか。

自身18歳で東京に上京した際に風呂無しアパートそばの駅前のパチンコ屋さんの店舗数が

故郷荒尾市のパチンコ屋さんに比べると 数が少ないことに気付きました。


隣市 大牟田市内には松屋・井筒屋と2つもデパートが有り、幼少期1970年前後に良く両親に連れて行ってもらうと、館内及び周辺は炭鉱関係者だけでは無いと思いますが買い物客で一杯でした。

母親に松屋と井筒屋の間を徒歩で往復させられた想い出が残っています。

その間父は松屋のそばのパチンコ屋さんではなく、ミルク色でビックリボール位の玉を弾くスマートボール屋さん?で時間を潰していたような…。(笑)



過去に荒尾市電の終点 緑ケ丘駅隣接(旧山の手ストア 現在山の手シャトレーゼさん)内で食料品の商売されていた方から 昭和50年代の当時 年末の大晦日 自動車のフロント部分に

付けていた正月飾りの売上げだけで軽く¥1,000万円を超えていた。と聞きました。


今となっては何故あんなもの車のフロント部分に付けていたか不明ですが、当時商売している方々の年末年始の売上げはすごかったようです。


現在、県庁所在地の熊本市には鶴屋デパート1件だけで、デパート不振の現在ですが

大牟田市には松屋・井筒屋と2件のデパートが有ったのは当然 景気が良かったのでしょう。



自身の幼少期 炭鉱社宅の知人宅に遊びに行くと、夕方になると一斉に社宅の横で住民達がご飯を炊き、支給の練炭を使い七輪でサンマを焼く煙の美味しい匂いが充満してくるので、

ご飯の時間だから家に帰らなきゃ。と理解していました。


当時住んでいた両親の勤務先病院社宅は万田の炭鉱電車軌道すぐ横に有り、軌道を四ツ山方面に向け歩くと国道208号線の高架を渡り 今の有明プラザ・イオンスーパー の南側に炭鉱電車駅

(原万田駅?)があり、その北側の大牟田市方面に向け炭鉱社宅が広がっていました。


その原万田社宅?で同級生(〇所君?)のお父さんが炭鉱社宅の中の売店?で八百屋さんを

営んでました。


そういえば高校生で中型バイクの免許を取得後、紹介された熊本市の先輩からお下がりの

中古改造オートバイのZ400FXに乗ってましたが、その〇所君は新車のZ400FX E2 ミッドナイトブルーに乗ってましたから正直羨ましかったです。

カワサキZ400FX E2 ミッドナイトブルー 今でも欲しい!(笑)


昭和40年代に荒尾第三小学校に入学すると今の万田坑そば 万田炭鉱館入口交差点の手前 角 広大な敷地 三池炭鉱役員社宅の屋敷に住む同級生が居ました。 お父さんが三池炭鉱の役員だったのでしょう。レンガ作りの高い塀に囲まれた広い敷地に古いけど広くて天井高く高級そうな家(幹部社宅か?)が建っており、 お手伝いさんがいたような気がします。


友人宅は万田坑入口バス通り角のこの辺りだったような記憶があります。 現在の状況は

敷地内は樹木で覆われており、黒い石炭が混ざった様な独特のコンクリートブロック積みの高い塀が一部残っている。

2024年7月17日撮影


広大な庭にブランコ等遊具が設置されており庭がまるで公園のような広さで、かけっこした後に縁側でお手伝いさんが作ってくれた冷えたカルピス?プラッシー?を一緒に飲んだような記憶が。


今でも万田炭鉱館斜め向かいに当時の古いレンガ作りのブロック塀だけが残されています。

その後、3年生の終わりに荒尾市が開発分譲した桜山団地に引っ越しを機に桜山小学校に

4年生から転校しました 以来 逢っていません。そのまま3小に居たら中学は第5中かな。 確か山〇君だったか。元気かなぁ。


そうそう、転校した桜山小学校時代に1学年下の男の子が転校して行き1~2年後、当時TVで人気番組 あの「金〇先生」に個性的な生徒役として役者デビューしたと当時友人から聞きました。


友人が言うには彼の親戚に夏さんという有名男優さんがいて、その縁でデビューが決まったと言ってたけど。 今となっては真相は確認出来ませんが。(笑)


みんな元気かな。


#荒尾市

#荒尾市 昭和

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#三池炭鉱社宅




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